月曜日の朝です
2003年9月15日世間では連休らしいです。
わたしゃ毎日休みです。
いや好きで休んでるわけじゃないんだがね。
何年かぶりに履歴書という物を書いてみようとした。
ちょっと愕然とした。
なにこの空白期間。
いやそんな感じで。
ここ最近の空白期間は3年あって、まあ最初の一年は
日通で契約社員やってたから説明出来るんだけども。
その後の二年って、最初の三ヶ月以外はずーっと
おふくろの病院だったわけだなーと。
あれから一年半経ってますなあ…。
時々正直言うとよく続いたなあとか思うこともある。
で、TCから離れたのもそのくらいからなんだけど、
前にも書いたかもしれないけど、前日TCやってて
朝方(確か5時くらいまで)やってて、ようやく寝たのね。
で、変なうなり声みたいなので目が覚めて、ちょっと
変な虫の知らせみたいなのがあって慌てて隣の部屋へ。
で、見たらおふくろがもどしてる上に俯せになってて
変な格好してるわけだ。
なんでか知らないが、脳だ、と思ったわけ。
まだその時はかろうじて呂律が回ってたんで、本人が
トイレ行きたいというので連れてったが、立てない。
しょうがないので腕で抱えて(予想以上に軽かった)、
連れてったんだけど、うち和式なわけで。
しゃがんでも出来ないからってずっと背中支えてて。
終わってもずっと気持ち悪いと言ってるので救急車呼んで。
乗せる時の本人の心配そうな顔(自分がどうなるのか)、
今でも忘れられません。
そういうのが去年の2月の中頃。
それから二度意識を無くして三度手術。脳の手術は
二度だけど、三度とも死ぬかもしれないと宣言されて。
そういうのを乗り越えて本人の目が開くようになったのが
3月の頭頃。声が出せなくて、自分が言いたいことが
うまく伝わらないと癇癪を起こして。
それから少しずつリハビリを繰り返して、少しだけ
声らしきものが出るようになって。
少しだけ意思の疎通が出来るようになってきたのが4月。
でも自我とかそんな感じはほとんど無くて、攻撃的で
しかも悲観的でさらに子供。でもずっと聞き役に徹した。
少し自分がしたいことを伝えられるようになってきたのが
5月〜6月。そして転院の話が出たのもその頃。でも、
相変わらず昨日あったことすら思い出せない状態。
それでも、この頃から少しだけたまに笑うようになっていった。
そこから先もずっとずっと長い紆余曲折があるんだけど、
読む方もストレス溜まるだろうからやめとく。
まあそれくらい胃が痛むような思いはしてきた。
殺してくれと言われたこともある。
これ、自分の親から言われたら死ぬほどつらいよ。
まあ、今は一時に比べたらだいぶ良くなってて、
自分が脳梗塞起こしたこと、入院してたことなんかは
ちゃんと憶えてて、少し最近の話までなら憶えて
いられるようになってきたし、だいぶ言葉も思い出して
きているようで、語彙が少しずつ豊富になってる感じ。
呂律が回らなくて聞き取りにくいのは相変わらずだけど。
もう少し、自分がやっていることが危険かどうかの
判断が出来るようになれば、観るほうも楽なんだが。
まだそこまでは無理だね。でも、ここまでの経過を見てると、
かなりいいところまで回復…というか出来ることが
増えていく気がする。確信までは出来ないけど。
こういうのを目の当たりにすると、人間の不思議さを
まざまざと感じるよ。だって、脳の機能のうち、小脳を
やられたんだけど、おふくろ、小脳ほとんど機能残って
ないはずなのね。バランスの神経を司ってる部分なんで、
真っ直ぐ立ってることも出来ないはずなんだけど、
短い時間なら何も掴まらずに立てたり、椅子に腰掛けて
倒れなくなったりとか…。すごいよね。
知識として、死んだ脳細胞のそばにいた未開発な脳細胞が
代替しようとする、ということは知っていたけれども。
まだまだ情緒不安定な部分はあるけど、ここまできて
ようやく一人の人間として向き合える程度には
話が通じる(どこまで理解してるかは別として)ように
なったのが嬉しかったり。
なんか最近脱線しまくりだな、話が。
わたしゃ毎日休みです。
いや好きで休んでるわけじゃないんだがね。
何年かぶりに履歴書という物を書いてみようとした。
ちょっと愕然とした。
なにこの空白期間。
いやそんな感じで。
ここ最近の空白期間は3年あって、まあ最初の一年は
日通で契約社員やってたから説明出来るんだけども。
その後の二年って、最初の三ヶ月以外はずーっと
おふくろの病院だったわけだなーと。
あれから一年半経ってますなあ…。
時々正直言うとよく続いたなあとか思うこともある。
で、TCから離れたのもそのくらいからなんだけど、
前にも書いたかもしれないけど、前日TCやってて
朝方(確か5時くらいまで)やってて、ようやく寝たのね。
で、変なうなり声みたいなので目が覚めて、ちょっと
変な虫の知らせみたいなのがあって慌てて隣の部屋へ。
で、見たらおふくろがもどしてる上に俯せになってて
変な格好してるわけだ。
なんでか知らないが、脳だ、と思ったわけ。
まだその時はかろうじて呂律が回ってたんで、本人が
トイレ行きたいというので連れてったが、立てない。
しょうがないので腕で抱えて(予想以上に軽かった)、
連れてったんだけど、うち和式なわけで。
しゃがんでも出来ないからってずっと背中支えてて。
終わってもずっと気持ち悪いと言ってるので救急車呼んで。
乗せる時の本人の心配そうな顔(自分がどうなるのか)、
今でも忘れられません。
そういうのが去年の2月の中頃。
それから二度意識を無くして三度手術。脳の手術は
二度だけど、三度とも死ぬかもしれないと宣言されて。
そういうのを乗り越えて本人の目が開くようになったのが
3月の頭頃。声が出せなくて、自分が言いたいことが
うまく伝わらないと癇癪を起こして。
それから少しずつリハビリを繰り返して、少しだけ
声らしきものが出るようになって。
少しだけ意思の疎通が出来るようになってきたのが4月。
でも自我とかそんな感じはほとんど無くて、攻撃的で
しかも悲観的でさらに子供。でもずっと聞き役に徹した。
少し自分がしたいことを伝えられるようになってきたのが
5月〜6月。そして転院の話が出たのもその頃。でも、
相変わらず昨日あったことすら思い出せない状態。
それでも、この頃から少しだけたまに笑うようになっていった。
そこから先もずっとずっと長い紆余曲折があるんだけど、
読む方もストレス溜まるだろうからやめとく。
まあそれくらい胃が痛むような思いはしてきた。
殺してくれと言われたこともある。
これ、自分の親から言われたら死ぬほどつらいよ。
まあ、今は一時に比べたらだいぶ良くなってて、
自分が脳梗塞起こしたこと、入院してたことなんかは
ちゃんと憶えてて、少し最近の話までなら憶えて
いられるようになってきたし、だいぶ言葉も思い出して
きているようで、語彙が少しずつ豊富になってる感じ。
呂律が回らなくて聞き取りにくいのは相変わらずだけど。
もう少し、自分がやっていることが危険かどうかの
判断が出来るようになれば、観るほうも楽なんだが。
まだそこまでは無理だね。でも、ここまでの経過を見てると、
かなりいいところまで回復…というか出来ることが
増えていく気がする。確信までは出来ないけど。
こういうのを目の当たりにすると、人間の不思議さを
まざまざと感じるよ。だって、脳の機能のうち、小脳を
やられたんだけど、おふくろ、小脳ほとんど機能残って
ないはずなのね。バランスの神経を司ってる部分なんで、
真っ直ぐ立ってることも出来ないはずなんだけど、
短い時間なら何も掴まらずに立てたり、椅子に腰掛けて
倒れなくなったりとか…。すごいよね。
知識として、死んだ脳細胞のそばにいた未開発な脳細胞が
代替しようとする、ということは知っていたけれども。
まだまだ情緒不安定な部分はあるけど、ここまできて
ようやく一人の人間として向き合える程度には
話が通じる(どこまで理解してるかは別として)ように
なったのが嬉しかったり。
なんか最近脱線しまくりだな、話が。
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